「言葉の森」の歌詞
藍坊主の「言葉の森」という曲がある。
この曲自体はもはや7~8年近く前にリリースされたもののような記憶があり、
この曲に対して何をいまさら語るところがあるのかという部分もあるが、
最近になって思ったことがあるので(どうでもいいことだが)記録に残してみる。
この曲の歌詞に↓のような内容があるのだが………
ノートPC 裏から小さく聞こえる
もっと愛を
もっと愛を
もっと愛を
もっともっとください
これは最近
ノートPC 裏から小さく聞こえる
もっとIO
もっとIO
もっとIO
もっともっとください
という意味なんじゃないかと思い始めた。
もともとの「もっと愛を…」の部分は
「ノートPCだとしても大切に扱おうぜ!」的な意味合いが込められているのだとなんとなく勝手に想像していたので
現代社会における大量消費・大量生産の実態に対するある種警鐘のような表現につながっていると解釈していた。
これを「もっとIO」と読み替えると
ノートPCが自分のマシンスペック、機種性能からして処理しきれないデータの処理要求を受けていて、
それに対して純粋にノートPC自身が悲鳴を上げているような状態であると、単純に読み取ることができる。
この状態は↑の解釈とは少し違うが
PCそのものは長年使っている、最新式と比べるとスペックの落ちる機体であることが容易に想像できるが、
一方でそいつに無理なことさせて「なんとかせい」とする使い手の「愛」のなさ、
というものを連想させることもできる。
まあそういうときってPCはもとより使い手のほうも「もっとIO出してよ!!」って思ったりするが……
もっとも"愛を"の部分を"IO"と読み替えているのは単なる言葉のあやに過ぎないので
この辺の解釈もすべて個人的な勝手な想像なのだが……
作詞は藤森氏なので、本人しか真意はわからない。
「言葉の森」のテーマは「言葉」なので、
ノートPCを使った「言葉の暴力」に対する「愛のなさ」を嘆いているのかもしれない。