漫画や絵を描いて発信していこうと思った経緯をまとめる
漫画Webサイトをサーバレスでつくってみた話を続けているので、今度はそういうシステムよりな部分からは話題を変えて、漫画や絵に焦点をあてて語ってみたいと思う。
はじめに
確か今年の目標にあげてたはずだが、かねてからなんらかの形で漫画は描きたいと思っていて、でもなんか重い腰があがらなくて、という感じがここ数年続いていた。
2~3年前にちょっと描いた気がするが、なんか納得できずに一度ボツにしてしまい、そのまま趣味として確立できず自然消滅…という流れだった。
そんなに活発に漫画や絵のコミュニティに出入りしているわけではないのだが、この界隈はTwitterのTLをチラチラと眺めているだけでも、ものすごく上手な人が大量にいて(なんならフォロワーさんにも数名いる)、そこに俺なんぞのカスがはいっていくことなど恐れ多くてとても出来ませんという、尻込みしてしまう雰囲気をずっと感じていた。
実際のところ、漫画や絵の界隈というのは、別に他のコミュニティに比べて特別閉鎖的というわけではないはずなのだ。
むしろTwitterでいえば、拡散のされやすさやそもそもの人口比から考えると、むしろテナーなんかのバンド界隈のコミュニティに比べてオープンな気すらする。
ただテナー等の「好きなバンド」をただ単に語り合うことに比べると、どうしても「絵を描く技術」ありき、というのがコミュニティに立ち入るための前提条件のようになっている感じがしてしまっていて、どうしても気軽に足を踏み込めないような感じはしていた。
そうした「超絶にうまい人達」に比べると自分自身に圧倒的に技術力が足りないという自覚があったことで、そうしたコミュニティに入ることで生じる可能性のある「チ◯カスみたいな絵見せてんじゃねえよ△ね!!」とかの罵詈雑言・誹謗中傷の類が怖かったというのはある。
ただこういうのって得てして無駄に考えすぎてるだけの傾向が強く、要するに「お前の描く漫画やら絵はそこまで注目はされていない」というやつで、始めたところで基本的に誰からも見向きもされない。
創作するうえで一番きついのは誹謗中傷の類よりむしろこういう「無視」の類なのだが(無視というと、目に入ってるにもかかわらず意図的に観ないようにしているニュアンスが含まれる気がするので、「無視」という表現が適切かは微妙な気がするが)とにかく基本的にそこまで人々の目に止まることはないので、実のところあまり気にすることはないものだ。
だからこういうのは変に悩んでいるよりは”とにかく始めてしまう”のが一番良い。
と思う。
「とにかく始めてしまう」の根幹に、「単純に自分の趣味」や「純粋な好奇心」という類のトリガーがあるとなお良いと思う。
そういう「創作意欲」を歯止めする枷が基本的にないというか、結局その辺の気持ちが後押しして「せざるを得なくなる」からだ。
本人の純粋な創作意欲という欲望から来てるので、それを制御するのは結構難しい(というか逆に精神的な負担になる気がする)のだ。
「やりたいんだったら、まだ来てすらいない誹謗中傷が来ることなんか気にしないで、好きにやればいいよ」っていう気にさせてくれる。
そして、それでいいんだと思う。
実際積極的に始めるまでは「俺なんぞのカスな絵がTLに流れてきて目を汚すのは…」みたいな変な気持ちが多少あったが、別にそれほどなんの反応もないなと気づいてからは(これはこれで寂しいものもあるがw)、その辺を気にしていたのが馬鹿らしくなってきた。
好きなように漫画やら絵やら描いてオープンにしていこう、と思うようになった。
「あいつ、いいトシしてこんなカスみたいな絵しか描けないのか(;'∀')恥ずかしいから辞めればいいのに」みたいな(苦笑)的な反応が来るかもしれないという点に抵抗があるという気持ちはあるし、実際全くないわけではないが、それよりやはり、「自分が描きたい」という欲のほうが勝っている。
勿論、そうしたなかには実にまっとうな意見もあるのだろう。
実際のところ、「技術不足」を認識したうえでこの活動を始めている以上、外部から入ってくるそうした意見には(言い方で気にする/しないはあるかもしれないが)謙虚に耳を傾けるべきだとは思う。
ただ作品を「見る」人がそもそもそこまで多くないことを考えると、いちいち時間を割いて批判してくる人等もっと数が少ないわけで、そのうえまだ来てすらいない批判を気にすることなど馬鹿馬鹿しい。
妄想の敵に付き合ってる暇はない。
しつこいようだが「批判されるほど注目される作品を作れていない」のだから気にするだけ時間の無駄なのだ。
自分の欲望に正直に、作品作りたいなら作っていけばいい。
絵や漫画を創作してそれをオープンにするのって、いやそういう意味だとあらゆる「創作」活動は大体そうだと思うが、そういう意味だとバンドマンが曲作るのもこれに該当すると思うが(俺は作ったことないので同じ感覚かどうかはわからないが)、自分の欲望を具現化する行為であり、汚く言えば自分のオ◯ニーを公開するのに近い羞恥心みたいのがあり、何かこう、気負いがあるというか、抵抗する部分が出てきてしまう。
しかしこの辺りの踏ん切りが着いたら枷が外れたように好きなだけ自由に描ける。
そもそも踏ん切りも何も勝手に一人で悩んでるだけだったのだが。
まさしくNothing's Carved In Stone-「石には何も彫られていない」。ルールはない、自由にやろうぜ!
絵について
実は昔から「色を塗る」というのが絶望的に苦手で、かつ超絶へたくそだった。
今も下手なので継続的に練習中なのだが。
だからモノクロで描いてそれで終いにすることが多く、色を塗るという作業を避けていた。
これは持論なのだが、絵の描き方はまさしく千差万別で、その人その人ごとに「描き方」がある、と思う。
勿論基礎の部分とかツールの使い方とか、総合的に似てる「描き方」やベストプラクティスみたいなものはあるんだろうけど、最終的には「人によってさまざま」が結論になると思う。
そういう意味で、俺も色の塗り方を含めた「自分なりの絵のかき方」を、長い間、いや本当長い間ずーっと模索していた。
大学で趣味で絵描き始めてたときから薄く長くずっとそうなので、もう15年以上。。。
まあ練習中という意味ではまだ模索しているのだが。
とにかく「塗り方」はずっと苦手な部分で延々自分なりの塗り方を探っていた。
俺は面倒くさがりなので、いわゆる「線画」というものをあまり描かない。
下書きはするんだけど、ある程度形になったらそれで一旦下絵を完成状態にしてしまう。
というか「線画を描く」という行為は、非常に繊細で器用な腕を要すると思っていて、今でも俺には無理だなと思っている。
絵を描いてる以上はそのうちどこかで挑戦してみたい気持ちはあるが、少なくとも今の技量じゃ無理。
なのでぶわーっと描いて線画に至らずに塗っていくスタイルを求めていた。
で、線画を描かないという都合上、絵が何かこう全体的にふわっとするのである。
形がしまらないというか。
極端に言えば下書き状態でそのまま晒されてる形に近く、見る人の想像で補正されてようやく「絵」になる不安定な状態というか。
こういう絵に「色」を付け足す場合、いわゆる「バケツ塗り」みたいな、均一な色での塗り方は非常に相性が悪くて(ああいうのは線画もしっかり引かれている、もっとポップな絵にこそ合う、と思う)下絵と喧嘩してしまう。
そこで最近たどり着いたのが水彩で塗るやり方である。
まあ自分的に「この塗り方が合ってるな」と思ってるだけで人によっては全然違う可能性もあるが、とにかくこの塗り方は、今までさんざん「塗り」が苦手だった自分にとってようやく見えた一つの答えのように思えた。
ただ単に「水彩で塗る」といっても色々な表現方法があるので、その辺は今後模索していく。
たとえばこの絵は比較的近い色をベースにして全体を塗っているわかりやすい絵だ思うのだが、一方でこっちの絵(特に女子のほう)は意図的に異なる2~3色の色を極端な陰影という形で表現することに使っており、印象がまるで違う。
ひとえに色を塗るといっても色々な表現方法がある。
この辺は、もっといろいろ試してみて、やり方の幅を広げていきたいと思う。
あと風景画ね。
これも描いていきたい。
まだ人物の顔面中心に絵を描いてるというのが素人っぽさがあるなと自分で思うのだが、最終的には人物周辺の風景や、そもそもの風景画そのもの、というのも描けるようにしていきたい。
実は薄っすら描いたりしてるんだが、まだまだ練習が必要だなと思うレベル。
人物画描くほうが確かに楽だから(慣れてるから)どうしてもそっちのほうの絵を描こうとしてしまうが、同じようなレベルにまで風景画を持っていきたい。
こんな感じで、まだ色塗りとしては数か月程度のひよっこだが、個人では十分に楽しめている。
今は「塗り」が結構楽しいと思う瞬間すらある。
ようやく「絵を描くのが楽しい」という感覚にたどり着けた。
絵は下手くそだけど嬉しいことだ。
今後も続けていきたいと思う。
漫画について
描きたかったもの
純粋に描きたかったのは「バトル漫画」だった。
殴る・蹴る・折る・斬る・壊す・潰す・吐く・ぶっ飛ばす等の表現を描きたかった。
極端な話バトル漫画という観点では上述した要素だけ入っていればよく、そこにストーリーや設定など皆無で良かった。
バトルシーンだけにフォーカスを当てた非常にシンプルなバトル漫画。
余談だが、そういう意味では今でも実はそういう作品の構想は合って、「終わりなき戦い(仮)」というやつなのだが、とにかく男と女がひたすら戦い続ける漫画で、腕をへし折られても首がぶっ飛んでも再生を続け、延々に死ぬことのない2人が無限に戦い続けるだけの漫画だ。
登場人物は男と女の2人のみ。
この2人に名前はなく(識別子は「男」と「女」で十分)、台詞もほとんどが殴ったりしたときの気合入れる系とか、殴られた時の言葉くらいだ。
殴る蹴るの暴行シーン(語弊があるが)を延々描くためだけに存在している漫画。
これはこれで面白いんじゃないかなと思ってるのだが、「延々バトルシーンだけが続く」というのが作品から抑揚を奪うため(バトルシーンの内容次第では多少工夫できそうではあるが)、作者の俺自身予想以上に早く飽きそうだなと思ったことと、「男女の戦い」というのが最近非常にセンシティブなこの辺の界隈に対する無駄な起爆剤になり得そうな気がして、一旦やめた。
ただ今もこのテーマ自体は結構いいんじゃないかなと本気で思っていて、どこかでやってみたい。
インスタで軽めにやってみようかなあ。
まあとにかくバトル漫画が描きたかったのだ。
少なくとも、何か漫画を描くにしても、内容自体はシンプルにしたかった。
バトル漫画を描きたいだけなのに、変に凝った設定やストーリーを含めてしまうと、バトルになかなかたどり着かないし、それは俺のストレスになる。
それにそもそもそんな凝った設定やストーリーを考えたところで、それを適切に表現できるだけの技量が自分にあるとは思わなかった。
ただ、バトル漫画というのは世には非常に多くの作品が溢れており、最早レッドオーシャン状態である。
そもそもそんなに絵もうまくないという状況で、「ただのバトル漫画」だけをもってそんなレッドオーシャンに踏み行っても、誰の目にも止まらないのは火を見るより明らかだった。
だから、自分に負担にならないレベルで、何か違う要素をバトル漫画に取り入れたいと思った。
それが「敵が暗号で喋る」というアイディアだった。
「敵がわけのわからない言葉を話す」というのは不気味さの表現等で既出としてもいくつかあるが(GANTZの仏像とか)、「暗号を喋る」というのは今まで見たことがない。
(見たことがないだけであるのかもしれないが…)
広義でいえば「設定」に入る項目だとは思うが、バトルシーンを構成する一要素に過ぎず、必ずしもストーリーを膨らませる必要があるようなものでもない。
そして、自分のIT技術者としての趣味を内包しているので、そっち方面の趣味も活かせると思うと一石二鳥で、面白いアイディアだと思った。
っていう構想を、冒頭描いた「2~3年前」の時点でもうしていたのだが、なかなか形として留まらせておく気力がなく、この辺までお蔵入りだった。
今思えば、あの当時から頑張ってそのまま続けいていれば良かったと思うが、まあ過ぎたことを言っても仕方がない。
今度は途中で飽きないように続けていきたいと思う。
載せるところ
これは「サーバーレスで漫画サイトをつくってみた」でもチラッとかいたが、自作の創作漫画を配信するプラットフォームはいくつかあるが、単にそこに画像をアップロードして…っていうんじゃ何かこう面白みがないな、と思った。
何より「暗号」の部分が単なるべたな画像の一部として扱われてしまって面白みに欠ける、と思った。
仮に誰かがこの暗号を「解きたい」と思った時に、長ったらしい暗号を漫画のページ画像をみながらいちいち手打ちするなんてやってられねえ、って思うのは必然であり、何らかの形でこの暗号をすぐに拾えるように画像に工夫をしたかった。
ここまでくると最早自作でサイトをつくったほうが何かと自由が利く。
加えて、「Webサイトをつくる」という点で、IT技術者としての技術的欲求も満たせる。
最終的にサーバーレス構成をとったのは上記のブログの通りだが、とにかくどこかのプラットフォームに画像をあげるよりは、自サイトでやろうという結論に至ったのだ。
とはいうものの、自サイトをつくって単に公開してるだけじゃ訪問者は増えないので、画像管理するためのプラットフォームとしての利用はしないと決めたが、なんらかの漫画公開プラットフォームには登録したいと思っていた。
色々探したのだが、最終的に新都社を選択した。
選択した理由はいくつかあるのだが
- マルチポストを禁止していた点。マルチポストできるほうが多くの人の目には触れやすいのだろうが、一方で、複数サイトに登録し、アップの度にそれに更新をかけていく管理運用の手間を考えると、マルチポストはできない(単独サイトの管理情報を更新し続ける)ほうが個人的にはむしろわかりやすかった。
- 何か「身近」感があった。これは少し明確に言葉で表現するのが難しい(語彙力不足)のだが、例えば集英社のジャンプルーキーとかは、 本人が漫画を投稿・公開するのが第一にあり、他の作品の作者や読者との繋がりは二の次、という雰囲気をなんとなく感じ取った。 一方で新都社は、FAの投稿や2ちゃん形式の掲示板等があって、作者同士や読者との交友が比較的身近にあるように感じた。 この辺りの「いい意味での緩さ」が気に入った、というのは正直な気持ちとして実際、ある。 ただ、(新都社を含め)そもそもコミュニティサイトではないし、「出版社が運営する漫画投稿サイト」という名目なら、ああいう雰囲気になるのは自然なんだろうけども。 要するに漫画投稿管理サイトの選び方における本人の嗜好性の違い、という感じか。
- 絵のクォリティではなくアイディアで勝負しているという点。他サイト、例えばジャンプルーキー等だが、見るとみんな素人のくせに滅茶苦茶上手い。ここに入っていくほど漫画が上手いとはとてもじゃないが言えなかった。一方で新都社は「ペイント使って漫画描く方法」等がガイドラインで公開されているほど、漫画を「描く」技量より、その作品のアイディアを世に出すことを推進しているようで、このスタンスは絵に自信のない自分の背中をおしてくれた。
といったところか。
3点目は結構心理的にも大きいかもしれない。
こういっちゃなんだが、新都社出身のワンパンマンも、原作の最初のほうは「この絵で漫画描くとは…」という気にさせてくれる絵だった(それがまた逆にかえって俺の自信にもつながったといえる)
一方で、ワンパンマンは漫画自体がとにかく面白かったので、今凄いことになっており、この事実にも新都社のスタンスが表れていると思う。
また、2点目(個人運営である)という点で、実際2~3年前にちょっと描いたときには一時的に登録もしていたので、今回もWCR(Web Comic Ranking)にも登録しようと思ったんだが、このサイト2020年の2月に終了されていたようだ。
残念。
ちなみに新都社に登録してみて予想外によかったと思ってるところは、コメント管理機能がほぼ無実装で構築できたこと。
読者の方からの感想を集める機能、自分で実装すると色々面倒なところが多そうだが、新都社の機能として備わっているものを付け加えるだけで実装できたのは非常に楽ちんだった。
コメントの投稿・返信などを含めた管理機能全般を新都社に移譲している感じだ。
確かにこういう機能自サイトをスクラッチで開発している場合個別実装が必要になるし、何より欲しい機能の一つであることも間違いない。(そういう意味では、自サイトを作ろうと思い至った場合でも、「感想をもらうための機能」を開発しようという発想がそもそもなかった)
まあ、セキュリティ面とか稼働率とかIT技術者的に気になるところは多少あるが、趣味の範疇なのであまり深いことは気にしない(突っ込んだところで知れるものでもない)
ところでこのコメント欄、テンプレそのまま貼りつけるとサイドバーに新都社メニューが出てきてしまう等があり、ちょっといじくってるんだが、この辺の改造は許可されているのだろうか。
ガイドライン見てもその辺の規定は明記がなかったし、自サイト持ってる人で何人か自サイトに合う形でレイアウト変更かけてる人もいたので、「変更してもいいけど自己責任でお願い」なのかもしれないが。
formタグやテキストエリアのID、phpの行先があってればまあ基本的には届くんだろうから、ある程度知識ある人ならいくらでも自由にいじくれるんだろうけど。
おわりに
サーバーレスでのサイト構築作業も含め、「趣味」としての活動の形がある程度定まったわけだが、今はちょうど運用し始めで、何をするにも楽しい時期だと思っている。
これを「飽きないように」続けていく、習慣化していくのが今後のミッションだといえる。
実のところこれが今は一番恐れていることで、「飽きないように」しないとな、と思っている。
全力で突っ走り続けても疲れちゃうし、かといって手を抜いてだらだら続けたら自然超滅するので、自分にあったペースでこれを自分のものに定着していきたい。
とはいえ、コロナ禍で「ライブ」という趣味が失われたという背景は大きいと思っている。
その分のパワーが別のほうにいったというのは多少なりとも事実なんだろう。
ライブが2019年以前と同様に活発だったなら、こうした形で「趣味」として成立はしなかったような気がする。
逆に言えば、「ライブ」が以前のように復活したならば(喜ばしいことだが)こちらの「趣味」は今までと同じような勢いを保っていられるか?は疑問である。
そうした点でも、この「漫画」「絵」という存在を、より自分の日常に密着した存在であり続けるように、早いとこ馴染ませなければならない。
まあ、あまり気負いすることなく、自分なりのペースで好きにやっていくことのほうが重要だろうから、のんびりじっくり続けていくようにしたい。
どうでもいいが、こうして振り返ってみると、「もっと早くやっておけばよかった」と痛感せずにはいられない。
今まで変に尻込みして留まっていたことに怒りすら覚える。
大小さまざまな色々な新しい体験をするたび毎回これを痛感するが、時間は有限だし最早自分も若くはなくなってるので、やりたいと思ったらとっとと手を付けるべきだ。
だらだら過ごしていると何も手つかずのまま一生を終えることになる。
「やらなかったこと」を人生の最後に後悔するというのを目にしたことがあるが、実際そうなんだろうと思う。
悩んでる暇はとにかく惜しい、なんでもいいからとにかく動け!!
といったところか。
人生の教訓の一つにしたい言葉だ。
大事にしよう。